働き方改革っていうても決めるのは当事者。仕事ドタキャンされたらどうする?

大阪での仕事が前日になってキャンセルとなった。
ホッとした。
家を空けることが多く、多少後ろめたい気持ちもあったし、子どもの体調があまりよくなかったこともある。
しかし、たまたまだんなが休みであり、ベビーシッターなど予約しておらず、仕事のドタキャンはどこにも影響を及ぼすことがなかったからこう言えるのである。
仕事と育児や介護との両立などをごたいそうに指南しているが、そして制度説明や法令を主に説明をしているが、会社で調整するか家庭で調整するかを決めるのは当事者である。
各当事者の置かれている状況や諸事情は千差万別である。
始業時間は8時だが保育園は7時半からで通勤時間もあるのでどーしても8時は無理。
こんなとき、始業時間をずらすのか、あるいは短時間にして9時からとかにするのか、7時から預かってくれる保育所に変えるのか、あるいは別の方法を考えるのか(送っていく人の確保、朝だけ別の託児所とか)決めるのは制度や法律ではなく当事者である。
会社が譲るのか労働者が譲るのか。
制度の運用は交渉ともいえる。
弾力性とかフレキシブルとか多様とかがんがん叫ばれているが、反面というか、叫ばなければその真逆に行きついてしまうからか、とにかく硬直的・画一的・単一的なのが現状である。
なぜならそれが簡単だからである。
頭の使い方が雑でもかまわないのだ、このやり方だと。
あてがいぶちに慣れきった頭と体にはフレキシブルはキツイ。
サブウェイは今はどうか知らないが昔むかし、パンの種類、マヨネーズの種類、はさむ野菜の種類、ハムの種類なにもかも自分で選ばなければならなかった。日本人にこのやり方は向かない。包括受け入れに慣れている者にとっては自分で決めるというのは大変なハードルの高さなのである。
自分は仕事だけして、それ以外は銃後に丸投げという人間にとってあれもこれもといったマルチタスクやさまざまなことを勘案して判断するという芸当はまさに芸当であっておいそれとはできない。
働く側は制度の他社風も後押ししないと言いだしにくいし、会社は準備不足であたふたし、なんとか家庭で調整してくれないものかと期待し、ついそういう心配のない労働者を雇用できないものかと思うものの、そのようなタイプはすでにいない。ってか、そういうタイプ(例えば独身親元暮らしなど)はたいていいないほうがいいような(言うてしまえば使えない)タイプである…
もしも今日だんなに勤務変更お願いしてたり、ベビーシッターを手配してたらどうなってたか…