自分なにやってるんだろう。
仕事がキツいとき、多くの人が思うことである。
残業続きのとき、やってもやっても仕事が終わらないときなど。
肉体的にキツい仕事の場合は終わりが見えていることが多いので、あまり感じないものである。
しかし、ときに「なぜ、こんなキツいことを、あえてやる必要があるのか?」と、不条理に思うこともある。
システムを導入すればしなくてすむ、システムを改善すればしなくてすむ、商品にそれらの価格を転嫁させることができれば導入・改善は可能だが、安い労働力を充てることでシジフォスの石のような業務が続く。
安い労働力というのは不条理には欠かせない。
「労働力」は国内では調達が難しくなっている。
「労働力」は紹介料を支払って日替わり労働力に頼るしかなくなっているが、これも当てにならない。
外からの「労働力」調達は国が準備している。
かつては国際協力と言われ、今は多様性尊重と言われている。
「労働力」は出稼ぎとしてやってくるが、「実習生」というネーミングが当てられている。
キツい仕事からキツい仕事へたらい回しだが、日本人労働者がやりたがらない仕事に充てることができる。
「実習生」という名の「労働力」はポリコレの欄外に置かれている。
かつて日本人も海外に出稼ぎや移住・移民という形で出ていったものたが、受け入れる側になったときに、「実習生」というネーミングを考え出したのは秀逸である。
そういえば、戦後ドイツが「労働力」を必要として日本から炭鉱夫を募ったとき、日本側ではなぜか「研修のため」と言われていたとか…